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| 2月28日(金) 「テツandトモ」 美容院で読んだ週刊誌の表紙を、テツandトモが飾っていた。 彼らは、どうしてこんなに売れてしまったのだろう。 その昔、彼らが「ボキャブラ天国」に出ていた頃から、私はテツandトモのネタが好きだった。 NHKの「爆笑!オンエアバトル」にも、彼らが出演するのをいつも楽しみにしていた。 昔から同じようなネタで笑いを取ってきた彼らが、どうして今になってこんなに売れたのか。 このようなブレイクを果たしたお笑いグループは、例外なくすぐに飽きられる。赤ちゃんのオモチャのように。 毎日必ずいくつかのテレビ番組に出演している彼らを、ハラハラしながら見ているファンは私だけではないと思う。 彼らが「また出てる」から、「まだ出てる」に変わる日が、一日でも遠いことを祈っている。 |
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| 2月27日(木) 「ピエトロドレッシング」 ドレッシングは、ピエトロを使っている。 あのCMが好きだ。 登場するのは30歳くらいのカップル。二人は、スーパーでピエトロのドレッシングを買う。 次のシーンは、ダイニング。カレが、空になったサラダボールから、器の底に残ったドレッシングを飲んでいる。 「外でも飲んでるんでしょう」と言う、カノジョ。「飲んでないよ」と、カレ。 白昼のダイニング、というシチュエーションがいい。 二人は新婚夫婦、恋人同士、どちらだろうか。 ランチの後は、どこに行くのかな。 二人でどんな休日を過ごすのだろう。この部屋で。 あのCMを見ていると、いろいろな空想がひろがる。 恋人と手作りのサラダでランチするようなデートをしたことがない。 それを実現するには、恋人か私のどちらかが一人暮らしのキッチンを所有していなければならないからだ。 繁華街やテーマパーク、リゾート地でのデートばかりだった私には、あんな白昼のダイニングデートは夢だった。 そして今も、夢は夢のままだ。 ピエトロのドレッシングは、家族と食べても、もちろん美味しいけれど。 |
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| 2月26日(水) 「赤い花」 小学2年生の息子に、算数のノートが終わっちゃったから買ってきて、と頼まれた。 算数のノートといっても、店頭には何種類も並んでいる。 スーパーに買い物に行く前に、ノートの表紙に何の写真がついているものを買ってくればいいのか、 息子に訊ねる。 息子は、 「真っ赤な、おはなの写真だよ」と言った。 居合わせた私の母が、笑って言う。 「それじゃサンタクロースだね!」 それを言うなら、トナカイ・・・。 まだ、水曜日。 今週は長い。 |
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| 2月22日(日) 「タイ料理」 夕食はタイ料理の店に行った。 夏休みに行ったプーケット以来のタイ料理である。 独特の香辛料にアジアンリゾートでの思い出が甦ってくる。 私は、辛い料理があまり得意ではない。 プーケットに行った時も、レストランで料理をオーダーするたびに、 「あまり辛くしないで」と頼んだ。 きょうの料理も、タイ料理としてはさほど辛いものではなかったはずだ。 けれども私は額に汗を浮かべ、パイナップルジュースで口直しをしながら、頑張ってトムヤンクンやグリーンカレーを食べた。 しかし、夫は違う。 ライスの上に、グリーンカレーをだらだらと皿から溢れ滴るほどかけて、美味しそうに食べている。 生春巻も、唐辛子がたくさん浮いているタレをジャバジャバつけて食べていた。 時々、「ああ、辛い」と嬉しそうに言いながらである。 人の味覚には、どうしてこんなに差があるのだろう? 食事をしながら、考えこんでしまった。 これほど舌の感覚が違っているのに、ひとつ家に住んでいていいのだろうか。 この人は、毎晩私が作る料理を本当に美味しいと思って食べているのか。 疑問は尽きない。 回答は聞きたくないけれど。 |
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| 2月21日(土) 「また、腋の下」 ここ数日、一人でお風呂に入っている8歳の息子に訊いてみた。 「腋の下ちゃんと洗ってる?」 どうして?と言う息子に、知り合いの3歳のお子さんの腋の下が黒かった、という話をしてあげた。 すると息子は言った。 「どうして腋の下が黒いの?ムダ毛?」 |
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| 2月21日(金) 「腋の下」 先日、知人のお子さんの着替えを手伝う機会があった。 その子が肌着に手を通そうと腕を上げた瞬間、私は息を呑んだ。 腋の下に黒い筋が幾本も浮き上がっているのだ。 垢である。 3歳になったばかりの女の子が毎晩ひとりでお風呂に入っているとは考えにくい。 おそらく母親と入浴しているはずだ。 母親はごく普通の女性である。特別不潔なわけでもだらしない人でもない。 単に、子どもの腋の下を洗ってやることにまで気が回らないだけなのだろう。 「ママに、ここ洗ってもらおうね」 と、小さな声でささやくと、色の白い、愛くるしい顔立ちをした女の子は、丸い目をぱちぱちさせて、うん、と頷いた。 自分では気づかない身体の部位が汚れている。 これって、誰にでもありうることなのかもしれない。 お風呂で身体を洗う時の癖というものが、誰にでもある。 あの日以来、お風呂で身体を洗う時、妙に神経質になっている自分が可笑しい。 人の失態までも自分のストレスにしてしまうなんて。 これじゃ毎日、疲れないわけがない。 |
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| 2月18日(火) 「バレンタインデー」 バレンタインデーの日。 小学2年生の息子は、同級生の女の子からチョコレートをひとつもらった。 チョコは短い手紙を添えられて、自宅の郵便ポストの中にチョコンと入っていた。 1年前のバレンタインにも、息子は同じ子からチョコをもらっている。 ホワイトデーに、息子と二人でちょっとドキドキしながらお返しを持って彼女の家を訪ねたのが、昨日のことのように思える。 チョコをもらって、今年も息子は大喜び。 今年はお返しを何にしようか、と息子と私はあれこれ考えて楽しんでいる。 あと何年だろうか。 こんな風に、母子でバレンタインのお返しを選んだりできるのは。 子どもの成長はうれしいが、一抹の淋しさも伴う。 |
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| 2月14日(金) 「欠品」 先日買取店に預けてきたFMVの査定結果が出た。 欠品がひとつあったため、500円マイナスだという。 それを除けば、買い取り価格の上限満額という結果であった。 欠品は「FMVの基本操作」というマニュアルだとのこと。 欠品なんかあるはずはないのに・・・。 納得がいかない。 私は、時に自分でも面倒になるほど几帳面な性格の持ち主だ。 これまで買ったパソコンの付属品はすべて、それぞれの箱に入れたまま保管している。 FMVの付属品も、各種CD-ROMからAOLの100時間無料サービスのリーフレットにいたるまで、ひとつのこらず箱に入れておいたはずなのに。 しかし、ないと言うものは仕方ない。 昨日から、家の中を山狩りよろしく大捜索しているが、未だ件のマニュアルは見つからない。 機種は違うが同じFMVを持っている夫にさえ嫌疑をかけ、書庫を探させてみたが、怪しげな本が次々に出てくるばかりで目的の冊子は見つからなかった。 500円が惜しいのではない。 リカバリまでした清い体で我が家にきた時と同じ状態にしてお嫁に出してあげようと思っていたのに、嫁入り道具がひとつ欠けていたという事実がショックなのだ。 タイムリミットは迫っている。もう、あきらめるしかない。 なんだか、ひどく悔しいけれど。 |
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| 2月13日(木) 「懐かしのメロディー」 「懐かしのメロディー」系の番組は苦手である。 アニメやテレビ番組の特集は、まだいい。 でも歌はいけない。 古い流行曲を聴いていると、当時の思い出や、学校・職場で悩んでいた人間関係、恋愛沙汰などの記憶が次々に甦ってきてしまうため、煩わしくてならないのだ。 どうやら歌というものは、その曲が流行していた頃の思い出を伴って脳に記憶される性質のものらしい。 夫はその手の番組を好んでよく見る。 リビングで懐メロ番組が始まると、私はテレビからできるだけ離れたいが一心でキッチンや洗濯機のある洗面所に逃げ込む。そんな日は家事が捗って仕方がない。 昨夜、夕食を作り終えて食卓に着くと、テレビで「超豪華!あの人は今」なる歌番組がやっていた。 息子が気を利かせてすぐにチャンネルを変えてくれたものの、そちらでは「歌の大辞テン!!」が始まってしまった。昨夜は昭和63年の特集だった。 観念して、それを聴きながら夕食を食べる。 昨夜の夕餉は、昭和の終わりの味がした。 |
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| 2月8日(土) 「こけし」 スーパーの窓ガラスに駅弁フェアのポスターが貼ってあった。 自転車のかごに買い物荷物を入れながらぼんやり見ていると、 妙な名前の弁当があるのに気づいた。 『ハローキティの電動こけし弁当』 !? ギョッとしながらよく見ると、 『ハローキティの仙台こけし弁当』だった。 なーんだ・・・。 こけしキティちゃんの弁当箱の写真が載っている。 横にいた息子が言った。 「ママ、こけしって何?」 再び、ギョッ。 何と答えたものか素早く考えをめぐらせたが、 単にこけしの説明をすればいいのだと気づいて、ホッとした。 |
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| 2月7日(金) 「温泉に行きませんか」 「一緒に温泉に行きませんか」という内容のメールが、 ここ数日間に30通以上届いている。 何日か前に、ある友達づくり系サイトに登録した。 出会い系の一種とはいえ、しごく健全なサイトである。 その際に、自己紹介の欄に「海外旅行と温泉が好き」、と書いたのだ。 温泉へのお誘いのメールをくれるのは、もちろんすべて男性である。 顔も見たことがない相手に対して、二人で温泉に行こうと誘うことができる人の 神経はどうなっているのだろうか。 知らない女性に(正確には女性だと名乗っている人に)温泉に行こう、 とメールすることで、彼らの淋しさはどれだけ解消されるのだろう。 彼らから送られてくる”はじめましてメール”にはいろいろな希望が書かれている。 始めは友達から。仲良くなったら一緒に食事やお酒、テーマパークへ。 そして、やがては旅行に行きましょう。ぼくはクルマをもっています。 おおむね、こんな感じだ。 みんな、淋しいのだろうか。 淋しがり屋であるだけかもしれないが。 真に淋しいのと、単に淋しがり屋であるのとは少し違う。 淋しい人と淋しがり屋の人から温泉に誘われて、 かえって淋しくなってしまう私も、きっとそのいずれかに違いない。 |
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| 2月5日(水) 「ドライアイス」 昨日、「伊東家の食卓」でドライアイスを使った大発見をやっていた。 ドライアイスには素手で触らないように、という注意を促すテロップを見て、息子が言う。 「ドライアイスって、どうしてじかに触っちゃいけないの?」 やけどをしてしまうから、と私が答えると、息子は驚いて聞く。 「ドライアイスって、冷たいのにやけどしちゃうの?どうして?」 冷たすぎてもやけどをすることがある、と話してやると、息子は妙に納得した顔でこう言った。 「なるほど。低温やけど、ってヤツだな・・・」 ・・・ちょっと違う。 |
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| 2月3日(月) 「豆まき」 節分である。 今年も息子が鬼役を買って出た。 スーパーで買った豆のおまけで付いてきた面をかぶり、庭で踊りまわる息子めがけて、「鬼は外、福は内」と小さく叫ぶ。 鬼は、人の心に棲むという。 私の心の鬼を討つために、いったい何袋の豆が要るだろう。 歳の数の5分の1程度の豆を口に運びながら、ぼんやりと考える。 |
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| 2月2日(日) 「収納」 職場の同僚に、片付け上手で定評のある女性がいる。 その奥義を聞いてみた。 「捨てることです。」 彼女は事も無げに言う。 たとえば、タオル。 家の中に置く枚数は何枚まで、と決めておき、それを上回る枚数のタオルをもらってしまったりしたら、増えた分だけ捨てるのだという。 しかも、もらったタオルの色や柄が気に入らなければ、新品のまま捨てることもあるとのこと。 そこまで聞いて私は、これは真似できない、と思った。 タオルを新しいまま捨てるなんて、私には絶対にできない。 もったいないとか何とか言う以前に、それはタオルに対する冒涜ではないか。 タオルの名誉のためにも、新品のまま捨てるなどということは決してしてはならないように思う。 使い古したタオルも同様で、新参のタオルを収納するために、きょうまで愛用していた何の罪もないタオルをただ捨てるだなんて、私にはできない。 なるほど。 収納は才能だというが、こういうことなのだ。 もったいないなどと思わずに、ばっさり捨てることができる才能。 思い出や思い入れを「物」に籠めず、使わなくなったものはきちんと捨てられる才能。 気に入っていたタオルはどんなにボロくなろうとも可哀想で雑巾として使うことができないような私には、その才能は完全に欠如している。 そうだったのか。 我が家が片付かない理由が、よくわかった。 私は、捨てられない。 タオルも、写真も、手紙も、思い出も、自らのオンナも。 |
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| 2月1日(土) 「冷静と情熱のあいだ」 「冷静と情熱のあいだ」を読んだ。 この物語がブームになったのは、数年も前のことである。 私はまだ映画も見ていない。 この本は、江國香織と辻仁成の二人の作家が、ひとつの恋愛を主人公の男女それぞれの視点から描いたふたつの物語で構成されている。 もともとは、月刊カドカワに二人の作家が交互に1章ずつ掲載していくという方法で連載されたものを、連載完結後に1冊ずつの本にまとめたものだという。 私は、辻氏の書いたBluの方から先に読んだ。読んでしまった。 2冊とも読み終えてからの感想だが、これは江國著のRossoから読んだ人と、私のようにBluから読んだ人、あるいは連載時に交互に読んだ人とでは、それぞれ大きく印象の違ってしまう物語なのではないだろうか。 はからずもBluから読んだ私は、主人公の男性「順正」にかなり感情移入してしまった。 そして、順正が語る順正自身と、恋人のあおいが語る順正像に微細なズレがあることが、とても興味深い。 自分が知っている自分など、全体のほんの半分程度なのかもしれない。 もしかしたら、それ以下かも。 そんなことを実感させる、ふたつでひとつの物語である。 久しぶりにヤラれた。 実際にはまだ見たことのないミラノの街の景色が、脳裏から離れない。 何度読み返しても、泣けてしまう場面がある。 ここ数日、おかしな夢ばかり見ている。 「月刊カドカワ」連載当時同様に1章ずつ交互に編集し直した同名の本をネットで探し出して、きょうオーダーした。 もう1度、読まなければならない。 そして、順正とあおいの恋を自分なりにきちんと検証しなければ。 物事に感情移入しすぎるのが、昔からの、私のもっとも愛すべき欠点である。 |
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