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| 1月26日(日) 「スキー」 午後、新幹線で東京に帰ってきた。 昨年に続き、息子を連れての2回目のスキーだった。 そのスキー場には、独身の頃に4,5人の友達グループで何回か行ったことがある。 友人の勤めていた会社の保養所が近くにあり、安く泊まれた。 ゲストハウスの外観は、当時と変わらないままだった。 吹雪がイヤ、晴れれば焼けるからイヤだと言っては滑るのをやめ、年中ここでお茶したものだ。 グループの男性たちが滑りに行っている間、私たちはよくここでお茶をしながら、オトコの話に花を咲かせた。 その友人には、長い間カレシがいなかった。 綺麗なのに、どうしてかな・・。私はいつも不思議に思っていた。 スキー宿に安く泊めてもらっている恩義を感じたせいでもないが、私は彼女に恋をしてもらいたくてならなかったのだ。 当時一緒にスキーに出かけていたグループの中に、ちょっといい男がいた。 温厚で知的でユーモアのセンスもあり、ルックスも悪くない。 立場が許すのであれば私がイタダキタイ、と思うほどの男性であった。 彼は、どう? 何度となく、私は彼を、彼女に勧めてみた。 すると彼女はいつもまんざらでもない顔で微笑むのだが、最後は決まってこう言った。 こっちがいいと思っても、相手の気持ちがあるものだから・・。 その二人が付き合ったからといって私に何かメリットがあるわけでもないのに、彼女がその台詞を言うたびに私はがっかりし、もどかしく思ったものだ。 その数年後、彼は亡くなった。 悲しい連絡をくれたのは、その友達だった。 33歳での急死だった。 どうして彼女が彼の死を知ったのか、くわしいことは聞かなかった。 当時、長男を妊娠中で体調が思わしくなかった私は葬儀に参列することができず、彼女にお香典を託した。 結局、彼は独身のまま逝ってしまった。 そしてその友達は一昨年結婚し、今は一児の母である。 昔と変わらぬゲレンデとゲストハウスを眺めながら、懐かしい友人たちの顔と無邪気に遊んでいた独身時代を思い出す二日間だった。 |
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| 1月21日(火) 「クローン」 新聞で、日本初のクローンの赤ちゃんが誕生するという記事を読んだ。 生まれるのは、18ヶ月前に亡くなった2歳の男の子のクローンだという。 亡くなった男の子の両親が、日本円にして約2400万円を出して例の教団と契約をした、と記事にはあった。 この記事を読み、私は思わず涙ぐんでしまった。 亡くなった息子にもう一度逢いたいという両親の切なる願いが、痛いほど伝わってくる。 鈴木光司の「らせん」も、似たようなシチュエーションのストーリー展開だった。 あれを読んだ時は、御伽噺としか思えなかったことが、現実に起ころうとしている。 生命は、何処に向かっているのだろうか。 倫理的な問題は、ともかく・・ 私は、そのご両親が、亡くした息子さんとそっくりの男の子にもう一度逢えることを祈らずにはいられない。 単なる母親の一人として。 |
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| 1月20日(月) 「ロッジ」 昨年の冬、初めて息子をスキーに連れて行った。 宿泊したのは、ロッジと名のつく、いわゆるスキー宿だった。 息子は7歳のその年まで、旅行といえば親の嗜好に従い大型ホテルにしか泊まったことがなかった。 いわゆる純和風旅館やペンション、民宿、ロッジというような所を彼は知らなかったのである。 出かける前に予備知識をと思い、ある日私は息子に言った。 「今度スキーでお泊りする所にはね、エレベーターがないんだよ」 すると息子は、きょとんとした顔で、 「じゃ、エスカレーターだけなの?」と訊く。 エレベーターのない宿泊施設にエスカレーターなんかあるかいっ! とツッコミたい気持ちを堪えて、エスカレーターもないの、と私は続けた。 しかし、「じゃ、階段だけなの? 」と言う息子の遠い視線の先には、20階建てのホテルの階段を自分の部屋に向かってひたすら昇る息子の姿が浮かんでいる。 私はあわてて、今度お泊りする所は2階建てなの、と説明した。 すると今度は、「2階建てなの? じゃ、横にうーんと広いんだね」とくる。 どうも、かみ合わない。 まぁ、行ってみればわかるだろう。 百聞は一見にしかず、である。 息子は、スキー宿での2泊を大いに楽しんだ。 宿泊客全員が日に何度も上り下りする階段。 壁に貼られた手書きのお知らせ。 宿の人を呼んで買う、自動じゃない自動販売機。 100円玉を入れないと映らないテレビ。 すべてが彼にとっては新鮮であったに違いない。 用もないのに階段の上に何十分も座り込んで通り過ぎる客たちの顔を眺めたり、何度も玄関を出て雪に触ってみたりした彼は、2泊して東京に帰る頃にはすっかり「ロッジ」のファンになっていた。 今年も息子を連れてスキーに出かける。 今回もまた、宿泊はスキー宿である。 「今度のお宿もエレベーターがないよ」 先日、息子に言ってみた。 すると、すでにロッジの権威である彼はにっこり笑ってこう言った。 「ママ、当たり前でしょう。スキーでお泊りする所にエレベーターなんかないよ。ロッジなんだから」 アルファリゾート・トマムや、リステル猪苗代のような大規模ホテルに泊まって滑るスキーもあるということに彼が気づくのは、何年先のことだろうか。 結局、自分の経験の中でしか物事を考えることができない子どもが、改めて可笑しく、可愛い。 |
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| 1月18日(土) 「同級生の死」 中学時代の同級生から電話がきた。 彼女とゆっくり話すのは、おそらく卒業以来だろう。 用件を話し終えると、自然と話題は同級生たちの近況に及んだ。 会話の中で、同級生の男子が一人亡くなっていることを知った。 同じクラスになったことはなかったが、ユーモアがありスポーツが得意だった彼は、学年の人気者だった。 亡くなったのは、2、3年前のことらしい。 死因を聞いて、二度驚いた。 餅をのどに詰まらせての窒息死だという。 30代の若さで、そんなことがあるのだろうか。 しかも、あんなに体格のいい男の子が。 人は、わからない。 亡くなっている同級生は、他にもいた。 窒息死した彼を含めて、4人の同級生がすでに故人となっている。 全クラス合わせても200名ちょっとの学年の中で、40歳を迎えることなく亡くなっている人が4人もいるのだ。 もしかしたら、他にもいるのかもしれない。私と彼女が、同級生たちすべての消息を把握しているわけではない。 この先、こうして誰かと話をするたびに、このような会話が繰り返されていくのかと思うと、背筋が寒くなる。 そしていつかは、私の名前もこの話題の中にあがる日がくるのだろう。 生ある者は、誰でも皆、死に向かって生きている。 一日一日、間違いなく死に近づいているのである。 それは、わかっているのだけれど・・。 |
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| 1月15日(水) 「夢」 明け方、夢を見た。 夢の中で私は、親しい友人と食事の約束をした。 時間になり、私は待ち合わせの約束をした店の前まで来て、友人の携帯に電話をかけようとした。 しかし、いくら携帯のメモリーを調べても、その友人の電話番号が出てこない。 おかしい。登録していないはずはないのに。 そこで、やっと気づいた。 彼は8年前に死んだのだ。 携帯の番号など、わかるわけがない・・・。 私は落胆し、そして目覚めた。 機械ものには目がなかった彼のこと、今この時代に生きていれば、最新のデジカメやパソコン、携帯電話に、さぞや夢中になっていたことだろう。 しかし、どんな新進気鋭の携帯電話をもってしても、あの世の人と通話をすることは、できない。 永遠に。 |
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| 1月13日(月) 「水族園」 昨日、息子と二人で葛西臨海公園へ行った。 水族園は相変わらず混み合っていて、水槽に近づくことさえままならない状態であった。 これまで津々浦々の水族館系テーマパークを訪れてきたが、混雑のためにこれほど水槽が見にくい水族館も珍しい。 葛西を訪れたのは通算8回目だが、来るたびに同じことを感じて帰る。 たとえば昨年行った大阪の海遊館も、池袋のサンシャイン水族館なども、とても混んではいたが、魚が見えないというストレスをこれほどまでに感じることはなかった。 他の水族館と、何が違うのか? 20分も並んで入った館内レストランで、野菜カレーを食べながら考えた。 順路の設定の仕方、水槽の高さと大きさ、フロア面積、係員の誘導の有無・・・。 思いつく限り他の水族館との違いを考えているうち、決定的な差に気づいた。 入園料の安さである。 大人700円。 小学生は無料。 ここは、役所なのだ。 それじゃ文句は言えないか・・・。 何の解決にもならない結論に、我ながら呆れた。 |
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| 1月12日(日) 「エアコン」 きょう、電気屋がエアコンの修理に来た。 パソコンのクラッシュより、もっと深刻なクラッシュが我が家には存在していたのだ。 昨年の夏に買い換えたばかりのエアコンが、まったく効かないのである。 設定温度を最高にして1日中つけっぱなしにしていても、ちっとも暖まらない。 先月からずっと、おかしいおかしいと思いつつも、仕事の忙しさや年末に旅行があったため、業者に連絡をとれぬまま日が過ぎていった。 リビングの暖房機器は、このエアコンとホットカーペットだけである。 私は、家に居ながらにして足の指が凍傷になってしまった。 点検の結果、エアコンのガスが漏れていたのが不調の原因であった。 そして先刻、無事に修理は完了し、現在の室温は15度を超えている。 この冬初めての暖かさである。 やれば、できるんじゃない・・。 元気に作動しているエアコンを見上げ、私はつぶやいた。 パソコンにエアコン。 どうも、コンとつく電化製品が不調らしい、と思ったところで、ふと思い出したことがある。 リビングのテレビのリモコンも故障しているのだ。 4チャンネルだけが、どうしても反応しない。 まったく、どいつもこいつも・・・・。 |
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| 1月4日(土) 「残り湯」 先日、職場の同僚たちと雑談をしている時に、お風呂の残り湯をどう使っているかという話題が出た。 殆どの人が、洗濯に使っていると言う中で、私は問われるまま正直に「そのまま流して捨てる」と答えた。 もったいないのに何故?と同僚たちに訊かれたが、本当の理由を言えば座の混乱を招くと思い、当たり障りのないことを言ってその場は逃れた。 「風呂の残り湯なんか、汚いから。」 これが真の理由である。 自分と息子が入っただけの風呂の残り湯ならばいざ知らず、夫が入ったあとの残り湯を洗濯に使う気にはどうしてもなれない。 靴下とか座布団カバー、シーツなどを洗うだけならばいいかもしれない。 しかし、タオル、下着などを含む日常の洗濯物を、家族全員がかわるがわる入った風呂の残り湯で洗うことは私にはできないのである。 たとえば、かの同僚たちも、公衆浴場の残り湯で自分の下着を洗濯する気にはなれないだろう。 それと殆ど変らぬ感覚を自宅の風呂の残り湯に私は感じている、ということだ。 家族とはいえ、結局のところ夫は他人にすぎない。 こういう感覚は、結婚するまで知らなかった。 プチ潔癖症。 私は、自分をそう呼んでいる。 そう認めることで、自分の面倒な性格を笑うことができるようになった。 自分がこんなに潔癖だったというのも、結婚して初めて気づいたことである。 もしかしたら、私を潔癖症にしたのは結婚なのかもしれない。 |
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| 1月3日(金) 「夫」 午前中にスーパーに買い物に出かけた夫が、すぐに戻ってきた。 財布を忘れたのだという。 まさに、男サザエさんだ。 彼は、天気予報ファンである。 敬虔な信者といってもいい。 首都圏に雪、などという予報が出てしまうと、やおら興奮し、揉み手しながら対策を練り始める。 明日は自転車に乗れるか、電車は動くのか、といったことを呟きながら家の中をうろうろ歩き回り、落ち着かないことこの上ない。 予報が当たらなかった時の言い草もいい。 「予定が遅れているんだ」とくる。 予報ではなく、予定。気象が、まるで待ち合わせしている知人のようだ。 旅行の予定などがあると、1ヶ月近くも前からテレビで長期予報を見て一喜一憂する。 旅行計画を天気予報で楽しむ人も珍しいだろう。 天気予報なんか、当たらない。 時に、私がそう言って煽ると、夫は口角泡を飛ばしながら、天気予報の信憑性の高さを主張する。 だって、最近は局によって予報が違うのよ。 私がそう言うと、夫は不機嫌になる。 なぜテレビ局は気象庁の発表を素直に信じないのか、と文句を言うのだ。 気象庁の発表を、大本営発表のように考えているらしい。 そもそも、天気予報の仕組みそのものがよく理解できていないと見受けられる。 要するに、単なるミーハーファンなのかもしれない。 夫は、実に面白い男である。 この「面白い」には、奇妙な、不思議な、風変わりな、といったニュアンスを含む。 人間ウォッチングをライフワークのひとつとしている私にとっては、興味深い観察対象であることに違いはない。 そう考えると、この結婚は、ある意味私にとって成功だったのかもしれない。 結婚生活など、もともと面白味に欠けるものなのだから、些細なことに愉しみを見出さなければやってられないではないか。 きょうの夫は、先刻から首都圏に降り始めた雪が「積もらない」であろうことを天気予報で見て、興奮をそがれた顔でぼんやりしている。 |
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| 1月1日(水) 「旅行」 昨日、3泊4日の大阪旅行から帰ってきた。 大阪ミナミのホテルを拠点に、神戸やUSJを観光した。 旅行は、いい。 食事の支度も後片付けもしなくてもいいし、洗濯もしなくていい。 私のようにフルタイムの仕事をもつ主婦にとっては、これは最高の蜜の味である。 しかし、そのツケがきょう届いた。 ホテルから送った、洗濯物満載のスーツケースとダンボール箱が合わせて3個到着したのだ。 そして、元日の朝から、私は洗濯物の山と戦うこととなった。 世間の人は、大晦日の昨日まで大掃除をしたり正月準備に追われて忙しく過ごしていたことだろう。 大掃除もせずに昨日まで旅行に出ていた私は、元日のきょう、こうして忙しく立ち働く。 |
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